1ヶ月ほど、こちらの更新を止めていましたがブログをやめた訳ではありませんので。
なんだかまた、いろいろと考えを巡らす時期が来たようで。
それらの考えをずっと頭の中を泳がせていましたが、重かった筆というか、指をようやく動かしてこの記事を書いていきます。
国際協力NGOコンフロントワールド代表の原貫太さんとの有料マガジンを10月から始めて、これまで以上に「国際協力」や「世界平和」について考える機会が増えました。
そこで到達するのは、やっぱり自分の想う理想の社会には「笑顔」という要素が欠かせないなあ、ということ。
そこに至るまでの体験を少し、振り返っておきたいと思います。
ウガンダで「大変」だったこと
すでにご存知の方も多いかもしれませんが、わたしは学生時代に1年間の休学をしました。京都に本部を置く国際協力団体 認定NPO法人テラ・ルネッサンスのインターン生として、2015年7月から12月始めまでウガンダに滞在し、元子ども兵の社会復帰支援に携わりました。
支援現場の様子を自分の目で見て、自分の肌で感じていく中で様々なことを学ばせていただく機会となりました。
講演などでよく聞かれる質問の中に、次のものがあります。
「現地での生活で辛かったこと、大変だったことはありますか?」
わたしは自称 すーぱーポジティヴ野郎なので、基本的にそのような感情を抱いたことはありません。大変とは「大きく変わる」と書きますし。
うまくいかない時こそ大きな成長のチャンスと捉えて、目の前にある壁を乗り越えた先にある自分の成長や人々の笑顔を想像するんです。
とはいえ、実際に現地で働いていると、きつかったことはあります。正直なところ。
それは何かと言うと、元子ども兵の方々へのインタビュー。
ウガンダに入って2ヶ月が経った頃、支援対象者の元子ども兵24名に対する生活状況のインタビューを実施しました。
「宗教は何ですか?」
「子どもは何人いますか?」
「悪夢は週に何回見ますか?」などなど。
かなり基本的な情報から始めていきます。そして中盤以降、その方個人のストーリーに触れていくという流れです。
つまり、インタビュー後半は対象者が反政府軍にいた兵士時代の実体験を聞いていくのです。
「望まない相手と無理やり結婚をさせられた」
「大人兵士の言うことに従わないと、自分の命が危なかった」
それはもう、本当に悲惨で聞くに耐え難いものでした。
こちらが話すことを強いることは全くしないのですが、対象者は一度話し出すと心の中にある氷が溶けていくように、当時の思い出を涙ながらに語ってくれるのです。
そんなインタビューを1日だいたい3〜5人に、10日間ほど行いました。
もともと、本で読んだり映画で観たりしていたので「子ども兵」という問題についてはある程度、頭の中で理解していたつもりです。
しかし、実際にその人の口から、その人の言葉で聞くと、想像していた何倍もの「何か」が心の中に入ってきて。
「辛い」「悲しい」なんて言葉じゃ表せないような。ほんと、言葉に出来ないような感情が込み上げてきて。
インタビューをやり始めてから数週間は、彼ら彼女らの言葉を何度も頭の中で反芻して夜もなかなか眠れませんでした。
同時に、こんな感情も出てきました。
「ああ、自分に何ができるんだろう」
わたしを救ってくれたもの
子ども兵の問題って本当に複雑で、凄惨で。大きな大きな問題なんです。
それに対して「大学生が1人現場に来て、いったい何ができるんだろう」って。
まさに今、自分が現地にいて向き合っている、その問題の複雑さや大きさに対して、自分の非力さを痛感しました。
「自分には何もできないのでは」
「なんでウガンダにまで来てこんなに苦しんでいるのか」
夜も眠れずに。そんなことをずっと考えていました。
そんな想いから離れられないまま活動をする日々が続きました。
しかし、わたしの心が折れることなく、目の前にある問題に立ち向かう勇気を与えてくれたのは、やはり、目の前にいるみんなでした。
元子ども兵の方々や、元少女兵が連れて帰ってきた小さな子ども達の笑顔でした。
みんなの笑顔が、不思議な力を与えてくれるんです。
言葉は通じずとも、「ユウキはそこにいるだけでいいんだよ」とその笑顔が語ってくれているような気がしたんです。
それ以来、わたしにとっての「世界平和」には、笑顔という要素が欠かせないものとなりました。
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