新卒NGO職員がゆく。|延岡由規のブログ

気にしていたいのはいつだって、世間よりも「世界」だ

アメリカに行く予定がアフリカに。

 

こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

 

これまでの記事で、現在、国際協力を仕事としている私が世界の問題に関心を抱いた最初のきっかけ、それから「子ども兵」という問題に取り組むようになった経緯について書きました。

www.yukinobuoka.com

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このようにして、認定NPO法人テラ・ルネッサンスにてインターンシップを開始しました。全インターン生に京都事務局での週2日、最低半年間勤務という条件があり、修了すると現場の状況やニーズを考慮して上で、海外事務所への視察ができる可能性があります。当時の私はそれほど海外志向は強くなく、2週間ほどウガンダ事務所に視察に行けるといいな、ぐらいに思っていました。

芯の無さに気づかせてくれた「世界青年の船」

インターン開始と同時期に、内閣府主催の青年国際交流事業の一環である、平成26年度グローバルユースリーダー育成事業「シップ・フォー・ワールド・ユース・リーダーズ(SWY27)」への参加が決定しました。世界10カ国から10人ずつの外国参加青年 100名と、日本全国からの日本代表参加青年 100名ほどが集まり、1ヶ月間を共に過ごしました。ディスカッションや文化交流などの活動を通して、国際的視野の拡大、リーダーシップや異文化対応力の向上を目的とした事業です。

「SWY27」参加青年での集合写真

学校の講義と、テラ・ルネッサンスのインターンシップ、それから世界青年の船への参加準備と生活は一気に慌ただしくなりました。20151月末、あっという間に事業開始の日を迎えました。意気込んでいたものの、各国の省庁関係者などをはじめとしたエリート揃いの外国人参加青年とのディスカッションに、全くと言っていいほど口を挟むことができませんでした。英語力の低さはもちろんですが、それだけではありませんでした。

「伝えたいことが見つからない」

英語ができないことを言い訳に、思考が停止している状態だったのです。今だから言えますが、事業期間中の1ヶ月は、私にとって本当に苦痛でした。それは、「何か意見を言わないといけないが、何も言うことがない」という自分の中身の薄さと常に向き合う必要があったからです。

休学をしてアメリカへ

世界青年の船が終わる頃には、漠然と考えていた「休学」という選択肢が明確なものとして頭の中にありました。

「このまま就職活動をしても、中身のない人生を送ることになる」

幸いにも、私の通う大学は学生の大半が休学・留学を経験するので、1年間大学を休むことには抵抗は全くありませんでした。

「よし、休学してアメリカに行こう」

当初はそう考えていたのです。もともと、環境問題にも関心のあった私はどうしてもアメリカのオレゴン州ポートランドで住んでみたかったのです。というのも、ポートランドではパーマカルチャーを街全体で実施している、とても魅力的な場所なのです。Permacluture Center Japanによる定義は以下の通りです。

パーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法

 

その前に、日本で勉強をしようということで、以前に知り合っていた鹿児島県 屋久島でパーマカルチャーを実践されている方の元でイソウロウすることにしました。

本当の自分の「心の声」

20154月上旬から、アペルイさんでお世話になった私は、晴れた日には畑に出たり、家を建てたり。雨の日には島1周のドライブに出たり。休みの日には家族全員で川遊びに行ったり。半自給自足の生活にとても幸せを感じていました。

屋久島での夕日 photo by Yuki Nobuoka

そして、地ビールや鹿児島県の名産である芋焼酎を酌み交わしながら、そこのご主人と熱いお話をさせていただくのが毎晩の楽しみでした。その方は、元々食糧問題や環境問題に関心があり、自らのライフスタイルを通して世界を平和にしたいという方でした。ある晩、国際協力や世界平和についてお話をしている時に、こう言われたのです。

「屋久島でこんなHAPPYな生活を送っている場合じゃないよ。本気でアフリカの子ども兵問題を解決したいのなら、早く現地に行かなきゃ

この言葉にハッとさせられました。これまで関心があるとは言え、「子ども兵」という問題は自分の中でもどこか遠くに追いやってしまっていました。しかし、このひと言で改めて自分の中で覚悟ができました。「本気でこの問題と向き合おう」という覚悟でした。一歩を踏み出す勇気をくださったアペルイの皆様には、感謝をしてもしきれません。翌日には自宅へ帰る交通手段を確保し、予定より数週間早く屋久島を後にしました。

すべては縁とタイミング

関西に帰ってきた私は、ポートランドのことなどすっかり忘れて、なんとかウガンダに長期で行けないかと、頭も身体もフル回転でした。テラ・ルネッサンス京都事務局の職員の方々や、10年以上アフリカの現場で活動をされてきた、理事長でもある小川さんを捕まえて、相談を繰り返していました。そして、京都の某ファミレスにて小川さんと23時間話した末、正式にウガンダ事務所への長期派遣が決定したのです。これは団体としても初の試みでした。

 

もう本当に、縁とタイミングに恵まれていました。私がこの時、たまたま休学をしていたから。この時、たまたま現地のウガンダ事務所に日本人の学生インターンを受け入れられる余地があったから。この時、たまたま日本の事務局側としても新たなチャレンジをしたかったから。

他にもたくさんの要因がありますが、そのどれかひとつでも欠けていたら、どれかひとつでも重ならなかったら私のウガンダ行きは実現しなかったでしょう。すべての方に、すべての出来事に感謝の想いを抱いて、20157月より自身にとって初のアフリカ、初の海外長期滞在がウガンダ共和国でスタートしたのです。