こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。
前回の記事で少し書きましたが、私は学生時代より国際協力の道に足を突っ込み、その足で「国際協力師」として歩いていくことになりました。
大学3年生を終えて4年目には1年間、休学をして現場に足を運び、実際にウガンダの元子ども兵社会復帰支援プロジェクトや、カンボジアの地雷撤去後の村落開発プロジェクトに携わるなど、自らの時間やお金を投入して国際協力に関わってきた私は、よく聞かれる質問・よくかけられる言葉がたくさんあります。
(これまでの経験や活動については後日書く予定です)
「幸せ」ってなんだっけ?
今日はよくかけられる言葉のひとつについて、自分なりの回答を示していきます。
「ウガンダの元子ども兵や、カンボジアの地雷被害者のサポートをするのはいいけど、もっと自分のために人生を使いなよ。」
、、、ん?
「自分の人生なんだし、もっと自分のこと大事にしなよ。」
、、、ん?
と、いつも疑問を抱いてしまいます。
結論から言うと、めちゃくちゃ自分を大事にしていますよ。自称 スーパー自己中人間なんです。その結果が、ウガンダやカンボジアでのインターン、新卒でのNGO就職という行動につながっているのです。
どういうことか。
ひと言で表すと、世界平和の実現は「自分の幸せ」のためなんですよね。語弊があるかもしれませんが。私には人生をかけて叶えたい目的=夢があります。(これはまた後日、書く予定です)そして、その夢を叶えるためには世界が平和な状態が必要不可欠なんです。自分の目的から逆算していくと、世界が平和でなければなりませんし、世界の裏側で誰かが苦しんでいる、涙を流している現状は看過してはならず、現状を変えるために行動を選択しているのです。
さて、「幸せ」というものすごく抽象的で、普遍的な言葉を使いました。100人いれば100通りの「幸せ」の定義があってしかるべきで、他人に自分の幸せを押し付けるものではないはずで。
つまり、「幸せ」の定義は人によって異なるものであって、それを他人に押し付けるようなものではない、ということです。
では、あなたの幸せは何ですか?
今、頭の中で言葉になりますか?ならなくても全く問題ないと思います。ゆっくり時間をかけて、自分との対話を楽しんでください。深く深く突き詰めていくと、言葉という結晶になって表れてくるはずです。
ちなみに私は、なんとなく大学生活を送っていた2年生の時、つまり、20歳の時に、いろんなことを考える機会がありました。この時から本格的に始まった自分との対話が、今の自分のベースになっています。
ここで皆様が気になっているであろうことは、「お前の幸せはなんだ?」ということですよね。
私にとっての幸せとは簡単にいうと、「あなたが笑顔でいること」なんです。ちょっと簡単すぎて目を疑いましたね。もう少しいうと、幸せと同様に、「平和」も団体や個人によって定義は様々あると思います。私にとっての平和な世界は、「全人類が喜びの笑顔を浮かべている社会」であり、「笑顔」が欠かせないのです。もちろん、これだけが「平和」の要素ではありませんが。
事業地のひとつであるカンボジア バッタンバン州ロカブッス村の子ども達 photo by Yuki Nobuoka
つまり、私にとっての「幸せ」→「世界平和」が必要不可欠→平和な世界とは「世界中の誰もが喜びの笑顔を浮かべていること」→「あなたの笑顔」が必要なんです。 これはウガンダでのインターン経験が大きく影響しています。
結局は、自分のため
このような思考の流れで、私にとっての「幸せ」とは、「あなたが笑顔でいること」という結論に至りました。あなたの笑顔をつくることと、私が幸せになることは同義だと捉えています。そのために、誰かを笑顔にできるなら、多少の無理や努力に自分の人生を費やすことは至極当然なことなのです。それがそのまま、自分の幸せに繋がるから。その誰かが、自分の大切な人であろうが、隣のおばちゃんであろうが、世界中にいる紛争被害を受けた人であろうが、関係ないのです。
インターンとして計6ヶ月滞在したウガンダで出会った元少女兵ら photo by Yuki Nobuoka
結局、自分が「幸せ」になる=「世界に笑顔を増やしてく」ために、子ども兵や地雷といった問題は解決する必要がありますし、「すべての生命が安心して生活できる社会」を実現する必要があるのです。逆に言うと、子どもが兵士として戦場に立たされたり、大人兵士の性的暴力の対象とされたりするようなこの世界では、私は幸せにはなれませんし、自分の夢を叶えることができないのです。
あなたの幸せはなんですか?
その「幸せ」は、子ども兵が存在している今の世の中で、地雷や不発弾の脅威に晒されながら生活を送る人々がいる今の世の中で、得られるものですか?
究極的には、今の世の中を変えられないまま死んでいったら、「幸せな人生だった」と胸を張って言い切ることが私にはできないのです。
だから今、できることを行動に移し、それを継続しているのです。