新卒NGO職員がゆく。

カンボジア駐在の新米"国際協力師"による、国際協力やキャリア等に関する一考察。

大切なことは、村の人たちが教えてくれる。


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

 

今週、久しぶりに調査をするためにフィールドに行ってきました。

ここ最近、フィールドには毎週のように行っているのですが、プロジェクトの活動を実施することがメインで、調査にはあまり時間を取れずにいました。

先日、ひと休み宣言をしたばっかりなのですが今回の調査を踏まえて、なんだか、長いトンネルの向こう側から光が差してきたような気がするので、書いておこうかと思います。

 

行ったのは、村落開発支援プロジェクトの対象地域のひとつ、プレア・プット村。

(この地域での活動はこちらでも紹介しています)
www.yukinobuoka.com

 

 

結論から言うと、当たり前のことに改めて気付かされたのです。

 

 

調査用紙にない情報

今回は、対象地域における各世帯の家族構成や家計状況など、基本情報を集めるための調査でした。ある程度質問用紙の項目に沿ってインタビューをしていきます。

通訳も入れると、基本情報を訊くだけで1世帯に1時間弱ほどかかります。

そのため、3世帯への調査にとどまったのですが、そのうちの1世帯でとても印象的なお話を聴いたのです。

 

31歳のお父さん、26歳のお母さん、2人の小さな娘さんが暮らす4人家族です。

お母さんのお腹は大きくなっていて、今月中には赤ちゃんが生まれるようです。

 

この家族に限らず、この地域で暮らす人達は自分の土地を持っておらず、農作業などの日雇い労働が主な収入源となっています。

 

 

質問をひと通り終え、調査項目としては設定していない話を雑談のように色々と訊いていた時、お母さんがおもむろに話しだしたのです。

 

 

「実はね・・・」

 

 

 

 

話さないと見えないこと

「実はね、この家にはもう1人、小さな息子がいたんです」

 

 

「その子が1人で歩けるようになって、私のことをマーと呼べるようになった、1年ぐらい前のことでした」

 

 

「ある日、夫と私の両方が日雇いの仕事をするために、家を空けることがありました

 まだ1人で外を歩かせるのは不安で、その日は母に小さな息子の面倒を見てもらうことになっていました」

 

 

 

「しかし、夕方、仕事を終えて帰って来ると、息子の命はここにはありませんでした

 村にあるため池で溺れて、亡くなってしまったのです」

 

 

彼女は、マーと言えるようになったぐらいの小さな息子さんが1人で出歩かないように、家ではいつも一緒にいたそうです。

ただ、その日は彼女のお母さんが目を離していた際に、息子さんは1人で外に出て行ったようです。

泳ぎ方もまだ知らない息子さんは、水の張ったため池に入ってしまい、そのまま溺れてしまったのです。

 

 

彼女は大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、こう言いました。

 

 

 

もしも、そんなことになると分かっていたら仕事になんか行かなかったのに

 

 もしも、私が一緒にいれば、その子が命を落とすことはなかったのに

 

 

私は、「人がいつ死ぬのかなんて、誰にも分からない」という趣旨の言葉を返したきり涙を浮かべながら、ただただ彼女の話を聴き続けることしかできませんでした。

 

 

村に行けば、いつも明るい笑顔で迎えてくれるこの家族に、こんなにも悲しい過去があったなんて。

話を聴くまでは、正直、想像もできませんでした。

 

 

問題の根源とは

すでに書いた通り、この地域に住む人達は自分の土地を有していません。

それは、地雷の危険を知りながらも、仕事などを求めて移り住んできた人がほとんどだからです。

カンボジアでは、プレア・プット村に限らず農村部(特に地雷埋設地域)に住む多くの人が「貧困層」であり土地を持たないため、収入を得る手段としての農業をすることができません。

そのため、地主が展開している大規模な換金作物栽培にまつわる日雇い労働などをする以外、収入を得る手段がなかなか無いのです。

 

さらに、このような格差が生じている原因として、「地雷」の影響は多大なものです。(もちろん、それだけではありませんが)

 

プレア・プット村では生活圏内の地雷撤去は完了しているのですが、この村だけで6,000個以上もの地雷が撤去された、地雷ベルトに位置しています。

これだけの数の地雷が埋まっていたため、インフラ整備やその他の社会的・経済的な発展からは取り残されていると言えます。

 

 

「もしも」を言いだすときりが無いのは分かっています。

でも、どうしても考えてしまうのです。

 

 

もしも、日雇い労働以外の収入源があって、お母さんが家にいることができたなら。

 

 

もしも、農村部と都市部の間で、これほどまでの格差が生じていなかったら。

 

 

もしも、この地域に「地雷」が埋められていなかったら。

 

 

「当たり前」のこと

お母さんと話をしていて、学生時代にウガンダを始めとする国際協力の現場で実感した大切なことに改めて気付かされました。

 

 

「元子ども兵」や「地雷被害者」などとひと言でくくらずに、1人ひとり」に焦点を当てること

 

1人ひとりが抱えている問題、逆に持っているリソースは異なること

 

10人いれば、10通りの支援のあり方があること

 

そして、私たちは「できる限り1人ひとりに寄り添った支援」を展開するNGOであること

 

 

これらを実行するためには何よりも、まずは相手を知らなければなりません。

それが例え「村落開発」という支援であっても。

 

相手が誰か、どんな状況にあるかも分からないまま、「意味のある支援」なんてできるわけがないのです。

 

 

頭では分かっていながらも、ここ数ヶ月は色々と理由をつけて、それが出来ないでいました。それが、自分の抱えているもやもやの大きな原因のひとつでした。

しかし、それを改めて気付かせてもらった以上、やるしかないと思っています。

 

 

「本当に意味のある支援」

 

「本当に自分のやりたい形としての国際協力」

 

 

それを見つけるために、動いていこうと。

 

 

こんな、「当たり前」のことに気付かせてくれたプレア・プット村のお母さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。

涙を流しながらも、辛い出来事を話してくれて。。

 

 

最後に、お母さんはいつもの明るい笑顔で、大きなお腹をさすりながら話してくれました。

 

 

「この子はね、亡くなった息子の生まれ変わりなんです

 

 息子が、私のお腹に入っていく夢を見たんです」

 

・・・・・・

 

「すべての生命が安心して生活できる社会の実現」

 

そのために、この手で未来をつくっていくんだ。

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