新卒・NGO職員がゆく。

カンボジア駐在の新米"国際協力師"による、国際協力やキャリア等に関する一考察。

サッカーから学んだ世界の「裏側」


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。

 

現在、国際協力師としてカンボジアに滞在している私ですが、大学生時代に経験をした海外事務所でのインターンが、今の進路を決定するとても大きな要因となりました。大学3年生を終えた4年目の1年間、休学をして認定NPO法人テラ・ルネッサンスのウガンダ事務所へ5ヶ月間、同カンボジア事務所へ3ヶ月間、派遣されました。主に、ウガンダでは「元子ども兵社会復帰支援プロジェクト」、カンボジアでは「地雷埋設地域村落開発プロジェクト」に携わり、現場での経験を積んできたのです。

そんな私がよく聞かれるのは次の質問です。

 

「なぜ、国際協力に関心を持ったのか」

世界で起こっている諸問題に関心を抱いた最初のきっかけは、2002年、私が小学3年生の時だったと記憶しています。2002年といえば、サッカー界でとある大きなイベントがあったのですが、皆様、覚えていますか?このブログの読者の大半が、小学生かそれより幼かったのではないでしょうか。

この年、日本と韓国がサッカーのワールドカップを共同開催したのです。幼稚園の年長から高校卒業まで、サッカーひと筋で育ってきた私も例外なく、日本でも試合が行われるこのW杯に、心弾ませいていたのを覚えています。特に兵庫県出身の私は、元イングランド代表のサッカー選手デイヴィッド・ベッカムやマイケル・オーウェンなど、イングランド代表が淡路島にキャンプで訪れたことに興奮していました。しかし、そのわくわくは小学校の道徳の授業によって真逆の感情へと変わっていきました。

サッカーから学んだ児童労働

道徳の授業で知った「児童労働」

インドやパキスタン(バングラデシュだと思っていたのですが、今調べるとパキスタンでした。記憶とは恐ろしいものです)では、同世代の子ども、特に少女達がサッカーボールの手縫いの仕事を強制されている、ということ聞いたのです。それまでは、日本で過ごしている目の前の生活が自分にとっての「当たり前」であり、世界に目を向ける機会がほとんどありませんでした。しかし、毎日休み時間も放課後も友人とサッカーボールを追いかけていた当時の延岡少年は、小学校3年生ながらにしばらくサッカーをするのが嫌になるほど強い衝撃を受けました。自分と同じ年代の子ども達が、「当たり前」のように学校に行って授業を受けることができず、「当たり前」のように友達と遊ぶことができないという事実が、世界にはあることを知ったのです。その日を生き延びるために、劣悪な環境のもとで長時間、しかも安い給料で働かざるを得ない子どもが、世界にはいることを知ったのです。

「自分が遊んでいる大好きなサッカーボールの『裏側』では、血や汗にまみれた生活を送っている子どもたちがいる」

「自分が笑顔を浮かべているまさに今この瞬間には、世界のどこかで涙を流している人がいる」

その時に、「世界の『裏側』を無視したくないな」という想いが芽生え、世界の問題、とりわけ、同世代の子ども達が直面している児童労働に関心を抱くようになったのです。(児童労働に関しては、話が脱線してしまうので別の機会に書きたいと思います)

 

当時の夢は、世界一のサッカー選手になることでした。すでに引退しているヒデ(中田英寿 元サッカー日本代表選手)に憧れて、彼のようなスーパースターになって、サッカーボールにまつわる児童労働を根絶したいと思っていました。しかしながら、努力が足りず、サッカー選手への道は諦めてしまいました。 

 

世界の諸問題に対して関心だけはあったものの、やはり目の前にある「当たり前」な生活、「便利で快適」な生活にどっぷり浸かって育ち、具体的な行動を起こすことがないまま大学生となりました。

いわゆる「普通」の大学生活を送っていた大学2年生の時、「このまま、なんとなく生きていく。こんな人生でいいのかな」と考え始めた時期でした。ちょうどその時、子ども兵という存在を知り、そしてテラ・ルネッサンスという国際協力NGOと出会ったのです。

忘れもしない、2013年11月19日(火)16:05~の90分間が、私の人生を大きく変えました。私の通う大学にて、教職課程の講義の1コマで、同団体の現理事長 小川真吾氏がゲストスピーカーとして招かれ、講演会が開催されたのです。私は教職課程はとっていなかったのですが、直感が私をこの教室へと動かしたのでした。

 

つづく。
www.yukinobuoka.com

 

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