新卒NGO職員がゆく。

カンボジア駐在の新米"国際協力師"による、国際協力やキャリア等に関する一考察。

いま考える、「言葉」について。


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こんにちは!新卒「国際協力師」の延岡由規(@yuki_nobuoka)です。 

 

いきなりですが、あなたの人生を変えた言葉ってありますか?

マザー・テレサ「愛の反対は無関心」や、マハトマ・ガンディー「善きことはカタツムリの速度で進む」、ネルソン・マンデラ「教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である」など、偉人達の言葉に影響を受けたことがある人は少なくないかと思います。

世の中には、言葉を使って世界の現状を伝える人、世界に意見を投げかける人、そして世界の流れを変える人がたくさんいます。そんなに規模の大きな話でなくともあなたの身の回りには、きれいな言葉を使う人や人に「伝わる」言葉を使う人が1人や2人はいるはずです。私の周りにも、人の心を動かすような言葉を使う人や、この人と話すのは面白いと思わせてくださる方がたくさんいます。

今日考えたいのは、そんな「言葉」についてです。

ことだま信仰

私は、言葉=「発する人のすべての人生経験が凝縮され、それを表現する方法のひとつ」だと考えます。人にはそれぞれの性格、生い立ちや育った環境、経験などには違いがあります。まったく同じように育ってきて、まったく同じ事を、まったく同じ時間に経験してきた人は、この世にあなた以外にいないはずです。それら、人生におけるすべての経験が凝縮され、表現する際のツールのひとつとして、「言葉」があると考えています。人によっては、その表現方法が音楽かもしれませんし、絵画や写真かもしれません。

 

言霊(ことだま)信仰って聞いたことありませんか?そう、例のあれです。

人が発した言葉には霊的な力が宿っていて、それらが現実世界に良いことも悪いことも引き起こし得る、という日本の昔からの信仰のひとつです。私はある種、これを信じています。「ある種」と付けたのには理由があって、私にとっての「ことだま」は言霊ではなく、「言魂」なのです。 

「言葉」に魂が宿る 

私が考える「言魂」は、何も宗教的な意味合いを含むものではなく、人の言葉にはその人がそれまでに触れたことのあるすべての「魂」が込められていると考えています。つまり、発する人がそれまでに経験した、人との出会い、そして別れによって「言葉」はその人に蓄積され、同時に、そこに宿る「魂」もその人に刻まれていくと思うのです。自身に当てはめると、私がこれまでの23年間に関わってくださったすべての方の「言葉」、そこに宿る「魂」は自身の中にすべて集積されており、それらを表現する際に頭の中で凝縮し、自分の「言葉」として表現しているのです。ここでは、人との出会いや別れのみ言及しましたが、これは本や雑誌、映画などの言葉に触れる機会すべてがその人の「人生経験」に含まれると考えています。

 

「この人の、この言葉に心を動かされた。」「この映画の、このセリフに感動した。」こういった経験は皆様にもあるのではないでしょうか。上述のようにして創り上げられた「言葉」が人の心を動かす時、何が起こっているのか。そこでは、「言葉」に宿った「魂」があなたに働きかけ、あなたの魂が共鳴し、共感が生まれているのだと、私は考えています。

ここから、「心動かされる言葉」=「共感を生むに値するだけの魂が込められた言葉」だと捉えています。逆に言うと、あなたが感動しなかった言葉には、それに値するほどの「魂」がこもっていなかった、ということです。あなたの心が動く時、それは「発信者の人生経験の結晶」に共感をしている状態を指すのです。

いやいや、そんな大袈裟な。と思われる方もいるかもしれません。しかし、このことを日々の生活の中で意識してみてください。自ずと人から伝わってくるものや、あなたが人に伝える内容、言葉ひとつひとつの選び方が変わってくるはずです。

 

抽象的なことをつらつらと書いてしまいましたが、私は、自分の言葉にはこれまでに出会ったすべての「魂」が込められていると信じています。そこにはもちろん、ウガンダで出会った元子ども兵、カンボジアで出会った地雷被害者の方々の魂も込められているのです。私が発する「言葉」=私の「これまでの人生経験の結晶」なのです。この記事を読んでくださった方に、私がいかに「言葉」を大事にしているかがお分かりいただけると嬉しく思います。

皆様も一度、自身の「言葉」について改めて、考える時間を設けてみていただきたいと思います。

 

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